自然の生命(いのち)の力 resilience

精神科病院で働いています。診療情報管理士通教84期。五感を癒して自然治癒力を高めるセラピーについても関心があります。一人旅が好きなので、旅のことも、時折書きたいと思います。ICD10リスト&要約ブログ作成開始。http://sizen.upper.jp/icd-10/

テクノロジーと夢 <Nixieウェアラブルドローン>

IPAが昨日

プレス発表 インターネット利用者の“情報セキュリティの脅威・倫理の意識”を調査した報告書を公開:IPA 独立行政法人 情報処理推進機構

を公開した。とニュースで見て読んだ。


この調査に関する記事で興味深かったもの

ネットへ「悪意」投稿4人に1人 スマホとタブレットから - 西日本新聞


みなさんそんなに悪意ある投稿をしちゃってるのね…と正直しょんぼりした。

ネットに悪口を書くというのは、すごく一方的なやりかたであり、相手に対して操作性が強い(都合のいい論理で虚実をまぜて展開できてしまう。相手が反論できない)。

結局、そういうこと(誹謗中傷)する心理っていうのは、

「自分はぜったい傷つきたくない。表面上はいままでどおりしたい。でも相手には痛い目にあわせたい」

みたいな、すごく矮小な精神性じゃないかと思う。ばかばかしいである。

 

そんなことより

インターネットはテクノロジーであり、

そこにもっと夢をみたいなと思う。夢があるべきだと思う。

悪口いったり、コソコソ人を操作して日常をせせこましく生きるためのツールにしてしまうのは惜しい。

私は、パソコンとかインターネットにとてもわくわくしてやってきた人間だから(ネット黎明期に高校生だったのが大きいかも)、ネット社会自体が悪しきものみたいにされてしまうのは残念だ。

 

悪いのはテクノロジーじゃなくて、使う人の心。

 

なんだって同じだけど、そういうことだ。

 

夢のあるテクノロジーとして

最近、いいなあーと思ったもの

ウェアラブル・ドローン


Introducing Nixie: the first wearable camera that can fly - YouTube

普段はリストバンドなのに、ぐにゃーと変形してカメラで空撮してくれるブツ。

SF映画的なギミック。クールなモデリング

 

カメラひとつとったって、こんな風に人間の夢は無限にひろがる。

 

これもよかったなあ。「ヒッチボット」

かわいいの。ロボットがもくもくとヒッチハイクを敢行するのであるが、ロボットはしょぼい。このしょぼいロボットに、人間がときめいて、どんどんヒッチハイクさせちゃうのである。

 


ヒッチハイク・ロボ、3週間でカナダ横断に成功 « WIRED.jp

 

 いいよね。ロボもかわいいけど、なにより人間ってかわいいなという気分になる。

診療情報管理士の認定試験に向けて

あと約1年と少しで、いよいよ診療情報管理士の認定試験になりました。

受験勉強はもちろんですが、社会人になってから何年も、

しっかりとした「試験」を受験してきていませんので、

試験慣れもしておきたいと思っています。

緊張したり、忘れ物したり、おなかいたくなったり、時間配分をミスったりしないように。。。

そんなわけで、来年は、いくつか資格試験を受けてみようと思っています。

受ける予定の試験は

 

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(1)医療情報基礎知識検定試験

医療情報基礎知識検定試験

(2)医療情報技師認定試験

医療情報技師育成部会

(3)統計調査士

統計検定:統計調査士

(4)情報セキュリティ管理士

情報セキュリティ管理士認定試験

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どれも、診療情報管理士の受験にもつながる内容だし。。。

合格が目的ではなく、試験慣れを目的として受けてみたいと思います。

でも、医療情報技師と統計調査士はできれば合格したいな。。。。

ちゃんと統計を扱える能力というのは、必要とされているので、

自分ができるようになれたら、いろいろ病院に貢献できるのではないかな。。。

 

ところで最近の自分の傾向と反省として、

やるべきことの優先順位がうまく取れていないなと感じます。

そこには微妙な深層心理がやっぱり影響しているなとも感じています。

優先順位がうまくとれないのは、モチベーションがうまくコントロールできていないのです。

そしてモチベーションを上手に上目にコントロールできない理由は、感謝ができていないからだなと思います。

 

根本的な部分に、

いつも感謝を忘れずに、意識的に刻み込んで、

ていねいに、着実に努力をし、

そして具体的で現実的な成果を手に入れ、

還元したいと思います。

 

勉強すること・資格をとること それ自体が目的になってしまわないように。

なんのために勉強し、なんのための資格なのか?

本質的なところをきちんと押さえてすすめたいと思います。

 

写真は、

先日、通勤途中に撮影したお日さまです。

きれいな空。。。。

心が洗われました。

 

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診療情報管理士基礎過程スクーリング終了


朝。スクーリング今日で終了と思うと、5時半起きもつらくない、、、ことは無くて、凄くつらかったけど何とか起きました。

そして田町に到着し、今朝の東京タワーをぱちり。
都会の空は、晴れてても透き通らないのだな、と発見。でもそれはそれでなんとなくアメリカンニューシネマのような色合いになって味があるかな、、、。

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なんか刑事もののロケみたいな道路。

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サイドカー的なものに乗った犯人を、覆面パトカーが追いかけそうである。
かっこいい。

さて、そんなこんなで無事、講義1時間前に会場到着し、よく演題が見える席に座る。

午前の解剖生理は、‘いいから黙って要点を暗記しろ’という超現実的なメッセージを受け取った。覚えられるかな、、、。

午後の、先天奇形、外傷、中毒の講義、面白かった。
講義最後に先生が、ニコチン中毒の話からの派生で、アルツハイマー認知症と喫煙には相関関係があるといろいろエビデンスを示して力説されていたので、喫煙者の皆様には禁煙をオススメします(私は吸わない派)、、!

基礎過程出席シールを全講座分貼り終わった時は、嬉しくてどきどきした。がんばったぞ、私。

そして全部終わってほっとしたのか、都会田町の大通り沿いを、田舎者丸出しの服装で、しくしく泣きながら歩いた。私、わりと、ほっとすると泣いてしまうのですがちょっと変でしょうか。
今回、扁桃腺炎で高熱出しながらの受講で、正直、つらかった、不安だった。

良かった、全部ちゃんと出られて、、、。

しくしくしながら喜びとともに撮影した、帰り道の東京タワーさん。
しばらく会うこともないだろう、、、。
ありがとう。

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田町のホームでも、なんとなく涙ほろほろしていたら、目の前にきれいな月、、、。お月さまありがとう。

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帰路は2時間はかかるので、熱があるからすわって帰ろうと思って、遠回りの電車に乗ったら、すぐに、ご高齢のご夫婦が目の前に乗っていらしたので、席をゆずった。
自分がゆずりたくてゆずったんだけど、立っているとフラフラして、カバン重たいし、けっこう大変。

人混みにもみくちゃになりながら、明日からのことを考える。
このスクーリングがあったので、次の土曜日まで、二週間休みが一日もないのです。
まだ熱も下がらないし、ひきつづき明日からも気持ちをひきしめて、がんばらなきゃ。
仕事も忙しい時期、穴を開けられない。
基礎過程科目テストも届くからやらなくちゃならない。ほかにもいろいろ、いろいろ、山積している。

大変。がんばれるかな。
いやいや、かんばるぞ。

でも、来年からの専門のスクーリングは、田町近くにホテルとって泊まることに決めました。
もう絶対そうする。
3日連続往復4時間超満員電車(大都会殺伐ムード全開)朝5時半起きコースは、私にはムリがあったよ、、、。

やっぱり都会は、苦手だな、、、。

さて、電車は、いま、大好きな森のある、私の町に着きました。駅に、風にのって、森のかおりがするんだよ。

ただいま。(^o^)
ほっ。

ついしん
全然関係ないけど、昨日コンビニでアイス(ホームランバー)買ってたらレジのおばちゃんに、嬉しそうね、と笑われました、、、。うん、嬉しかったの、ホームランバー。大好きだから。でも恥ずかしかった、、、。

今日もいい一日。
皆様ありがとうございます!

診療情報管理士スクーリング2日目!


今日の、感染・免疫の講義面白かった。

私たちの遺伝子の40%くらいは、ウイルス性の遺伝子らしい。ウイルスとのたたかいや競合、共生の結果が、いまの私たちの肉体をかたちづくっているらしい。

過去にペストの流行した地域には、HIVに感染しづらい遺伝子変異の人が多くあらわれているとのお話、また、血液奇形の中には、その特徴からマラリアに罹患しづらいものもあり、これらはサバイバルアドバンテージだと。奇形や変異などは、生命、種の保存のためのひとつのアドバンテージになっているというお話。

また、これまでに地球に生まれた生物の99パーセントは絶滅していて、この地球に生きているものたちは、過去の地球の歴史からみたらほんのわずかな生き残りたちであり、なかでも人間は本当に短い時間しか、この地球に存在していない。

地球ではあらゆる生物たちが、種の保存のために、適応や変異をしながら、地球の歴史を生き延びてきており、そしてその全てはもともと同じ遺伝子を共有しているのだと、、、そんなお話だった。

楽しい最高の講義だった。

そして、
今日の東京は、霧がかかっていた。

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診療情報管理士スクーリング一日目終了


84期生なので、このターンのスクーリングで基礎過程が終わります。はやく専門やりたし。

今日は、医療倫理と医療用語だったので、親しみやすい内容の楽しい一日でした。
ただ、扁桃腺炎でめっちゃ高熱出てる中受講したので身体はぐてぐてです。


いまからもうひと頑張りして帰ります。

田町は都会だな。

都会は苦手だな。

でも東京タワー、かわいいな、
、。

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お月様を見に行こう。

わけもなく、落ち込んでしまった。
こういうときは、ほぼ百パーセント、自分の認知がゆがんでいる。バイオリズムが良くない。

でも、
空がきれいだし、
空気も気持ちいい。そう思った。
そのことが感じられるから、
良かった。

明日はもっと明るい気持ちで過ごしたい。あまりクヨクヨしていたくない。

だけど、無理して元気を出すと、あとでもっと落ち込んでしまうから、
ゆっくりゆっくり行こう。

後でお月様を見に行こう。

マイペースでいいのだ。
マイペースにしか、生きられないのだ。

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感謝を知った時の話

私は以前まで、このように思っていた。

努力をすれば全ては変わっていくことができるし、失ったものは必ず取り戻すことができるし、願い続ければ叶わないことはないのだと。

しかし立て続けに起きた肉親の死が私のその考えを大きく覆すことになった。

そしてその経験に、今はとても感謝している。

今夜はその経験と、そこから感じたことを書いてみたいと思う。

私には幼い頃からの夢があった。

笑われそうな話だが、「いつか家族みんなで楽しく食卓を囲みたい」という夢だった。我家にはそのような心おきない家族団欒の場面が無かったからずっと願い続けていた。

そしてその願いは、必ず叶うと信じていた。

しかしその夢の叶わぬままに、続けて肉親がなくなり、

悲しみのあまりか私はその頃の前後数年間の記憶がところどころバラバラに抜け落ちている。

ただ覚えているのは、死後1週間程は、「どうか帰ってきて欲しい、もう一度話がしたい」と泣いていたこと。

そしてその悲しみの嵐の過ぎた後、

「もう決して戻ることはない。家族団欒の夢も、叶うことはない」とはっきりと思い知った、あの瞬間の自分の心である。

あの瞬間、私は新しい人生の一歩を踏み出した。

世界は、叶わないこと、戻らないことに満ちている。

そしてそれを知ることこそが、人生を感謝に導く鍵なのだと思った。

あの痛烈な体験は、私に感謝の心を刻みつけてくれた。

死別後の数年、私は強烈な後悔と自責の念にとらわれ、

その暗いトンネルをもがきながら抜け出した後に、このように思うようになった。

「私は1時間後には死んでいるかもしれない、明日には死んでいるかもしれない。そして、死んだら、この肉体の人生は終わりなのだ。」

だからこそ、一日を大切にし、出会う全ての人に気持ちを伝えて生きていきたいと、そう思った瞬間に、私の人生は大きく転換した。

私の心は、その後、こんな風に思うようになった。

まず第一に、敬愛する人に、自分の人生を、生命(いのち)を、捧げたい。

どのような人でも出会う人には喜びを感じ、一緒に過ごせることが楽しいと感じるようになった。

大切な人に、何度でも何度でも、感謝を伝えたい。

悩んでいる人や苦しみの内にある人には、我が身を砕き、力になりたい。

弱者がいればその側に立ち、彼らの盾になりたい。

強者がいればその傍らに立ち、彼らの孤独に寄り添いたい。

自分が望まないことは、はっきりと拒否をできるようにもなった。

自分の欠点を、ゆるすことができるようにもなった。

晴れの日も雨の日も曇りの日もどれも美しく、欠けた月も満ちた月も美しく思うようになった。自然が愛おしくてたまらない。

人の心がどれもありがたく、自分の人生を、他者のために使いたい。…

この感覚は今も果てしなく続いていて、

私は感謝と幸福を噛み締めて生きることができるようになった。

そしてこの感謝と幸福の中に生をまっとうすれば、

私の死後、

肉体と意識が滅したあとに、

もし魂(意識ではない)があるとすればー

その魂は、満ち足りた姿で、魂の世界において永続できるような気さえするのだ。

私の最大の願いが叶わないままに絶たれた、

あの数年間の出来事は、

私に真実の感謝を知らしめるための、

神の大きな手だったのではないかと思っている。

人間は常に死をおそれ、

世間にある、宗教の多くは、死後の世界や救済を語っている。

しかし私は、

神(かみ/大いなる意思)のようなものが存在するのだとすれば、

それは、

「死からの救済」や「死後の世界」などという価値観よりももっと大切で壮大な、

心を、魂を、私達に伝えようとしているのではないかと思う。

最後に、C.G.JUNGの言葉を引用する。

~私の存在の意味は、生命が問を私に投げかけてきたことにある。あるいは、逆に、私自身が世界に向かって投げかけられた問そのものなのだ。そして、私はその答えを伝えねばならない。さもなければ、私は世界がそれに答えるのに依存してしまうことになるからだ。これは努力をし困難と闘ってのみやりぬける超個人的な仕事である。(ユング自伝より)~