負荷の中を生きる
自分の人生は厳しい試練の連続だと思うし、それは私だけじゃなくて生きていく人誰もがそうなのだろうと思う。人は誰しも試されているし、人は誰しもチャンスを与えられているのではないだろうか。
以前は、この試練がなくなっていくことが幸せかと思っていた。でも最近は違う気がしている。
私には充分な体力も、知力も、経済力もない。だから必死で健康管理して、勉強して、仕事も人よりたくさんしなくては、思うような事を、思うようにすることができない。
また、一人ではできないことだらけなので、誰かの助けやアドバイスも必要だし、仲間や友人なしに、最善の夢や未来を描くこともできないから、いつも皆と心分かち合える自分でいたい。
そのためには、ウジウジした自分は禁物だ。真っ直ぐな心の強さがないと、良い仲間と交流することもできない。
そして何よりも大切で目指すべきなのは、優しい人間であるべきことは間違いないはずだ。
歯を食いしばって一日を生きる。
1番幸せな今日と未来のために。
もっと強くて優しい自分を目指すために。
私は、
「そのままでいいよ」
とか
「ありのままでいいよ。無理しなくていいよ」
という言葉より
「もっと頑張ろう」
「もっと一生懸命生きよう」
という言葉を、友と分かち合いたい。
たくさんの試練、
背負いきれないほどの負荷。
年を重ねていく肉体。
その、
しんどいしんどい、旅路の果てに、
私は私の人生の意味を見つけたい。
愛しあえなかったこと、
助けられなかった命、
償いきれない罪の意識、悲しみとさみしさの果てに、私はある日、光を見つけた。
それは、
それでも私は生きているということ、
生かされているということだった。
それは奇跡だし愛に違いない。
本当にありがたいことだと、
そう思った。
私は、奇跡と愛の中を生かされている。
あとは自分がどう生きるか、それだけなのだ。
ならば私は過酷でも、
嘘偽りのない人生を行きたい。
愛するもの全てを背負って、
1番険しくて高い山を、
登りたい。