Brother Sun and Sister Moon
人生でいちばん大切な映画は?と聞かれたら、私にとっては、「Brother Sun and Sister Moon」だ。
私はとても厳格なカトリックミッションスクールで中学・高校の6年間を過ごした。それはひどく窮屈な世界で、スカートの丈、アイロンのかけかた、靴下の折り方や髪につけるリボンの色まで決められて、私は反発ばかりして、学内をウロウロするシスターや神父さまに怒られて過ごした。
学校では、登校の時、礼拝堂の彫像に一礼をし、朝礼で皆で「主の祈り」をささげ、お昼に食事に感謝をささげ、下校前には「天使祝詞」をささげる。週に一度は全校ミサがあり、礼拝堂に皆で集まり、校長先生から聖水とベルの祝福をひとりずつ頭を下げて頂く。中学は生徒の5分の1くらいはカトリック信徒でクリスチャンネームを持っていたと思う。
週に数単元は、シスターか神父さまの授業がある。その中に、「倫理・宗教」という科目があった。倫理・宗教では、皆で映画を見たりする。その映画の一つが、「Brother Sun and Sister Moon」だった。
若きアシジの聖フランシスコが、裕福な暮らしに耽ったり戦争に従軍したりという経験のあと、改心し、すべての財を手放し、ボロ布一枚を身にまとい自然の中に身を投じ、神に仕える日々を過ごし始める…伝記的青春映画だ。聖フランシスコが説法すると小鳥や動物たちも彼のもとにあつまり耳を傾けたという記録に基づいた描写、美しい大自然、豊かな愛に満ちた素晴らしい映画で、私は食い入るように見入った。
窮屈なミッションスクールの生活の中で私にとって良かったこと、それは、「目に見えない存在」について考えるきっかけが多かったことと、「無私の生き方、他者に奉仕する生き方」について学ぶ機会があったことだと思う。教師は誰も「良い大学に行け」「競争に勝て」と言わなかった。ただただ、信仰と思いやりについて語っていたように思う。私はクリスチャンではないし、思いやりあふれる性格でもなかった。だけど、だからこそ、学校で教わるこれらのことが、美しく崇高なことに思えた。
「Brother Sun and Sister Moon」は、私の人生の大きな指針となり、無私の心で他者に奉仕する人生を送りたいと思う動機となり、ピュアに自然に感激する心を持ち続けたいという願いになり、その想いは今も続いている。
Brother Sun and Sister Moonの歌詞に、こんな一文がある。
Brother Wind and Sister Air,
open my eyes to visions pure and fair,
that I may see the glory around me.
I am God's creature, of Him I am part.
I feel his love awakening my heart.
兄弟である風よ空気よ。
あまねく栄光に気がつけるよう、無垢で公正な視座を私に与えてください。
私は神に創られた神の一部です。
そして神の愛が私の心を揺り起こすのを感じているのです。
ブラザー・サン シスタームーン・エンディング - YouTube
生きること、死ぬこと、それはどういうことなのだろうか。
本当の愛とは、本当の喜びとは何なのだろうか。
そんなことを思いながら、今も時々この曲を聞いている。