月へ行けたなら
最近、良いこともつらいことも一気に押し寄せてきて、心がとてもざわついていた。
落ち着かせようとしても、落ち着かない。心を見つめてみても、とらえどころなく変幻してしまう。
こんなときに心を見ると、どうしても自己嫌悪がまさってしまい、苦しい、困惑のまま数日を過ごしていた。
夜には眠れなくて、何度も目をさまし、途方に暮れた気持ちになる。
まるで自分の未来すべてが、闇におおわれてしまうように不安で、そんな自分が情けなくて自分自身を責める内に、さらに心は行き場を失っていくようだった。
今朝職場に到着しても、まだ心はざわつき、いつものように仕事がはかどらない。
しばらく悩んだ後に、私はふと思い立って、
「今日は一人でできることをしよう」と考え、
前から作りたいと思っていた院内用の小さな統計管理システムの開発構成づくりに手をつけた。
ひとり、もくもくと構成を起こしている内に、やがて夢中になっていた。
構成がすんで、簡単なモックを創るうちにさらに気持ちは膨らみ、熱中していた。
そしてふと気が付くと、心のざわつきが嘘のように消えていた。
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私はいつも葛藤している。
ひとつのことがうまくいくときは、べつのひとつのことを失うことかもしれない。
ひとりの人とよろこぶときは、べつのひとりが悲しみにあるかもしれない。
決断をもとめられるとき、自分の意思を通すなら、誰かにとってはその人の意思にあわないことになるかもしれない。
頭の中はすっきりしない。ひとつひとつの事が、とても重大で複雑に思える…。
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昨夜、ひとり部屋で、様々のことを思い出し、心が押しては返す、波のような時の中でふと、祈るような感情を覚えた。
その時、遠くから花火の音がした。その音は遠雷のようにやさしく低く響き、私の心は満たされて行った。
そして私は考える。
私は一体、何なのだろう?
私は私の人生を、きちんと漕げているだろうか?
不安になるのは、過去をひきずって生きているから。私の「現在」の前には、未来ではなく、「過去」が置かれてきた。
まるで月へ向かうスペースシャトルのように、この影から離陸してみたい。悲しみや苦しみを、赦してみたい。
そして月から私を見たら、私はどんな姿をしているだろうか?
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何かをつくっている時はとても心地がよい。何かをつくっている時、私の心は救われている。
自分というのはとても不可解で、語れば語るほど触れれば触れるほど姿をうしなう霧のようだ。
それでも私は私を知りたい。そして誰かを知りたい。
そして私は私に言いたいのだ。
この道の先にあるのは未来だと。
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霧の中を泳ぐように、
また私の1日が暮れていく。