愛すること愛されること
さみしい生い立ちをしたという友人が、
妻子がありながら不貞行為を繰り返している。
彼曰く、
「どうしてもさみしい、埋まらない孤独がある」という。
その孤独が、不貞に駆り立てるのだと。
しかし、結果的に、彼は妻子にも疑われぎくしゃくし、
不貞の関係など、長持ちするわけもなく、
孤独も闇も埋まるどころか増すばかり…であり、
私は心配しそのことを指摘するのだが、
彼は「いまさら。自分を変えることなどできないよ」と強弁する。
そうやって諦めたように生きている人を見るのは、
とても切ない。
なぜ彼はそれほどにさみしいのか。…時々考える。
生い立ちだけの所為ではないだろう。
彼の心の特性があるのだろう。
彼は臆病であり、愛することも愛されることも恐れているように見える。
もしかしたら彼は愛を理想化しているのかもしれない。
自分の中の愛に気が付いていないから、そのようになるのではないか。
愛されないことが耐えられず、愛することもできず、
いろいろなものに価値が感じられなくなり、
破滅的になっているように思える。
彼は言う。
「あなたに私の気持ちはわかりませんよ」
「生きているのは面倒くさい」
「長く生きたいとは思わない」…。
私は彼に問う。
「ほんとうに、それでいいの?」
彼は答えずに、冷たい表情のまま、窓の外に目を逸らした。
もう梅が咲き始め、
春はすぐそこなのに、
彼の心は湖の底のようにひえきっている。
私は彼が可哀そうだ。
どうすれば彼は救われるのだろう…。