自然の生命(いのち)の力 resilience

精神科病院で働いています。診療情報管理士通教84期。五感を癒して自然治癒力を高めるセラピーについても関心があります。一人旅が好きなので、旅のことも、時折書きたいと思います。ICD10リスト&要約ブログ作成開始。http://sizen.upper.jp/icd-10/

心の表象

 
今日、仕事からの帰り道、気分転換に大好きな川のほとりを歩いていたら、若い夫婦が散歩していた。旦那さんが、ベビーカーを押している。
二人の会話が、ふと耳に入った。それはこんな会話だった。
 
奥さんが「私はほんとうに、ダメな母親だと思う」とつぶやいた。
すると旦那さんが、やおら大きな声で、
「何言ってんの?!君は、めちゃくちゃかわいくて、めちゃくちゃきれいで、めちゃくちゃ良い母親なの。!」
と、どっしりした声で言ったのだった。旦那さんの声にはわざとらしさはなくて、一生懸命な気持ちが伝わる声だった。
奥さんは、照れたように少し立ち止まって、夫婦はちょっと見つめ合ったあと、のんびりベビーカーを押しながら川のほとりを過ぎていった。
 
私は幸せな気分になって家路についた。
暖かい心の旦那さんと、少女のような奥さん、やさしい夕暮れの川のほとりが、すごくおだやかに調和していて、すてきな光景だった。
 
「よい言葉」ってどういう言葉だろうと思う時、
それは、「言葉が上手」なことでも「ボキャブラリーが豊富」なことでもなくて、
そこに込められた気持ちであることは間違いなくて、
自分も、仲間や友人に心のこもった暖かい言葉をかけられるようになりたいと想う。
 
さて、そんな時間の後、一転、俗っぽくなって、
夕食はひやかしに、山田うどん本店に行き、かかし君を撮影。 
 
f:id:ssizen:20140617204530j:plain
 
意外なほど美味しい玉子焼きに舌鼓を打ち…
 f:id:ssizen:20140617204540j:plain
 
食後は自宅で珈琲を飲みながら、本を2冊。
 
 f:id:ssizen:20140617204551j:plain
 
[家族愛、その精神病理]という本がとても良かった。古い本なのだけれど、いろいろなケースが記載されている。とくに描画法の箇所が、事例が多く興味深い。記載されていた事例を少し紹介する。
 
これは、あるmelancholiaの女性のDAF test 自分の家族図を描いているのだが、本人が描画されておらず、かつ、家族全員が後ろ姿で書かれている。
”家族が彼女から背を向けている(期待がなにもない)””家族の中に所在がない”と、彼女が感じているであろうことが、わかる。
f:id:ssizen:20140617223704j:plain
 
これは、schizophreniaの男性が描いた家族図とのこと。髪型や顔の造作の似通った人間の顔が奇妙な連続性をもって描かれている。それぞれの顔から感情を読み取ることがとても難しい絵だと感じた。 schizophreniaの患者さんと接している時の、不思議な感情、プレコックスな感じ、をこの絵からも受けた。
f:id:ssizen:20140617224528j:plain
 
そんなこんなと、考える今夜。
 
人の心が表象されているもの。言葉や、絵、かたちあるもの。
そんなものたちがとても大好きだ。
 
私の宵はまだまだ続く。
 

雷 <神立 カンダチ>・生命の神秘

 
 一昨日の深夜、私の住む町に、
雷鳴が轟いた。
非常に大きな雷が続く一夜となった。
 
雷雲の近づく前には、
町中の犬や猫が遠吠えしたり泣き叫んだりして、
ただならぬ雰囲気があった。
 
やがて豪雨とともに雷鳴が轟き、
稲光を伴い我が家の真上まで雷雲が及んだ。
その後一時間ほどに渡って雷は付近に鳴り渡った。
 
何度となく閃光する稲妻と、うなる雷鳴は、家中を照らしつけ、
すべてが吹き飛んでしまいそうに感じるような強い力だった。
私は子供の時から雷が怖くて、鳴り始めると身体がすくんでしまうタイプで、
この夜も、怖くてしかたがなかった。
 
こんなに大きな雷は体験したことがない、というほどの大きな雷槌が続き、
やがて、不思議なことに、
私は恐怖以上に、その在り様に神秘を感じはじめた。
 
雷の語源は
<神鳴り>
であり
地域によっては雷のことを
<カンダチ(神立ち)>
と呼ぶと、
以前、本で読んだことがある。
その語源が理解できるような気がした。
 
古代の人が、この巨大な雷槌にひれ伏し、
これは人間の存在を超越するような何かがこの世に鳴らす音、
この世を照らす光であると、
感じ解釈したその心理が、とても理解できた。
 

f:id:ssizen:20140611090152j:plain

 

実際、雷は、生命の誕生の不思議にも深く関与しているとされている。

原始の海を模した溶液に雷を模した放電をすると、アミノ酸が生成することが証明されている等、

生命の基礎となる様々な物質の生成には雷の(放電の)力が作用したことは度々語られてきた。

 
 私達の肉体の素材は、古代、海に雷が落ちたところから始まる…と思うと、
とても神秘的で感動を覚える。
 
人が雷のことを、どのように解釈してきたのか、
民俗的な履歴もまた紐解いてみたいと、
そんな風に思った一夜だった。

 

京都もぐもぐ日記。

引続き、京都旅行の記録です。
朝は、老舗「からふね屋珈琲店」に入り、モーニングを食べました。
 
f:id:ssizen:20140602154634j:plain
 
モーニングは、ボリュームたっぷりで、味は懐かしくほっとする味です。パンは薄くてイギリスパン風、サクサクした食感で大好きな味です。
珈琲のガムシロップは琥珀色で可愛いです。
 
f:id:ssizen:20140602154710j:plain
そして、シュガーの袋のフォントは、さらにたまらなく可愛いです!
 
お昼は、京都駅ポルタのそば富士屋で、美味しいお蕎麦とネギトロ丼。
f:id:ssizen:20140602154723j:plain
美味しかったです(*^^*)。特にネギトロ丼が、ご飯ふっくらで本当に美味しかったです。
 
他にも、小川珈琲など色々伺ったのですが、写真を忘れてしまいました。すみません。(。-_-。)
 
お土産に、自分の大好物の、すはま団子と、そばほうろを買いました。他にも、すぐきや白味噌など、懐かしい味を買い込みました。
 
f:id:ssizen:20140602154758j:plain
 
f:id:ssizen:20140604233647j:plain
 
f:id:ssizen:20140602154911j:plain
 
すぐきは、写真がないのですが、子供の頃いつも我が家にあった常備菜です。
京都以外ではあまり食べないかもしれないお漬物です。
根っから京都人の私の母は、毎日のように、すぐきと番茶のお茶漬けを頂いていました。
 
冬も京都に行く予定です。冬は錦市場でおせちの準備を買い込みますので、またご報告させていただきます☆
*\(^o^)/*
 

サントリー山崎蒸留場ガイドツアー


京都山崎に旅に来ています。

昨日は、この山崎にある、サントリー山崎ウイスキー蒸留場の、ガイドツアーに参加しました。何度来ても幸せ山崎蒸留場、ご紹介します。

まずはエントランスに並ぶ歴代の美しい硝子瓶。

f:id:ssizen:20140601111129j:plain

f:id:ssizen:20140601111001j:plain

f:id:ssizen:20140601111054j:plain

f:id:ssizen:20140601111114j:plain
f:id:ssizen:20140601111257j:plain

蒸留場内に入ります。場内写真撮影OKなので存分にご紹介できます。
場内はすごい熱気と、アルコールの匂い、甘い発酵臭などなどでむせかえりそう。

発酵窯。
f:id:ssizen:20140601111243j:plain

f:id:ssizen:20140601111426j:plain

蒸留工程。
f:id:ssizen:20140601111451j:plain
スピリッツができてきてる!感動。
この時点ではアルコールは70度くらいだそうです。
f:id:ssizen:20140601111517j:plain
f:id:ssizen:20140601111541j:plain

そして熟成。
木製の樽は、金属を使わず作られていて
、山崎の空気を呼吸し、美味しいお酒を熟成するそうです。ロマンティック。
f:id:ssizen:20140601111616j:plain
f:id:ssizen:20140601111809j:plain
f:id:ssizen:20140601111823j:plain
樽の種類で味も変わるそうです。
f:id:ssizen:20140601112000j:plain
これが、日本最古のウイスキーの樽だそうです。
f:id:ssizen:20140601112026j:plain

蒸留場をでたら、実際にテイスティングできます。
プレミアム角瓶、山崎、白州、響12年。
それぞれ、ハイボール、トワイスアップ、オンザロック、ストレートなどなどでテイスティング
f:id:ssizen:20140601112158j:plain
山崎蒸留場でいただくと、ウイスキーは100倍美味しい。何故なのか、本当にめちゃくちゃ美味しいです。
f:id:ssizen:20140601112322j:plain

至福のひとときでした。

山崎の乳酸菌、水、空気すべてが作用して、最高のウイスキーを作り上げるそうです。
まさに自然の神秘、自然の恵み。そして作りての情熱が生み出した奇跡のように思えます。

まだまだ京都レポ続きます。

Brother Sun and Sister Moon

人生でいちばん大切な映画は?と聞かれたら、私にとっては、「Brother Sun and Sister Moon」だ。

私はとても厳格なカトリックミッションスクールで中学・高校の6年間を過ごした。それはひどく窮屈な世界で、スカートの丈、アイロンのかけかた、靴下の折り方や髪につけるリボンの色まで決められて、私は反発ばかりして、学内をウロウロするシスターや神父さまに怒られて過ごした。

学校では、登校の時、礼拝堂の彫像に一礼をし、朝礼で皆で「主の祈り」をささげ、お昼に食事に感謝をささげ、下校前には「天使祝詞」をささげる。週に一度は全校ミサがあり、礼拝堂に皆で集まり、校長先生から聖水とベルの祝福をひとりずつ頭を下げて頂く。中学は生徒の5分の1くらいはカトリック信徒でクリスチャンネームを持っていたと思う。

週に数単元は、シスターか神父さまの授業がある。その中に、「倫理・宗教」という科目があった。倫理・宗教では、皆で映画を見たりする。その映画の一つが、「Brother Sun and Sister Moon」だった。

若きアシジの聖フランシスコが、裕福な暮らしに耽ったり戦争に従軍したりという経験のあと、改心し、すべての財を手放し、ボロ布一枚を身にまとい自然の中に身を投じ、神に仕える日々を過ごし始める…伝記的青春映画だ。聖フランシスコが説法すると小鳥や動物たちも彼のもとにあつまり耳を傾けたという記録に基づいた描写、美しい大自然、豊かな愛に満ちた素晴らしい映画で、私は食い入るように見入った。

 

窮屈なミッションスクールの生活の中で私にとって良かったこと、それは、「目に見えない存在」について考えるきっかけが多かったことと、「無私の生き方、他者に奉仕する生き方」について学ぶ機会があったことだと思う。教師は誰も「良い大学に行け」「競争に勝て」と言わなかった。ただただ、信仰と思いやりについて語っていたように思う。私はクリスチャンではないし、思いやりあふれる性格でもなかった。だけど、だからこそ、学校で教わるこれらのことが、美しく崇高なことに思えた。

「Brother Sun and Sister Moon」は、私の人生の大きな指針となり、無私の心で他者に奉仕する人生を送りたいと思う動機となり、ピュアに自然に感激する心を持ち続けたいという願いになり、その想いは今も続いている。

 

Brother Sun and Sister Moonの歌詞に、こんな一文がある。

 

Brother Wind and Sister Air,

open my eyes to visions pure and fair,

that I may see the glory around me.

I am God's creature, of Him I am part.

I feel his love awakening my heart.

兄弟である風よ空気よ。

あまねく栄光に気がつけるよう、無垢で公正な視座を私に与えてください。

私は神に創られた神の一部です。

そして神の愛が私の心を揺り起こすのを感じているのです。


ブラザー・サン シスタームーン・エンディング - YouTube

 

生きること、死ぬこと、それはどういうことなのだろうか。

本当の愛とは、本当の喜びとは何なのだろうか。

 

そんなことを思いながら、今も時々この曲を聞いている。

 

行動あるのみ。勉強諸々。

 
英語、『一億人の英文法』本日とりあえずざーっと読了しました。
明日からは、以下のことをやります。
・この本の中に出ている英文を単語帳にうつし、和訳から英訳する。たとえば単語帳オモテに「君の成功はどういった決定をするかにかかっている」と日本語で書く。それを見て頭のなかで英文構成。Your success depends on how you make decisions.とすらすら出てくればOK。これをだいたい2週間くらいでやる予定です。やりおわったら次はフォレストざっと読みで文法知識定着はかる→英文法標準問題精講をやり込む、の予定です。
 
診療情報管理士は、このところは医学用語をポチポチ勉強中。うちはカルテにこんな用語記載するDrいません、なんて言い訳は通用しないだろうから、せめてぼんやりとでも意味がわかるようになっておこう。。。。
しかし、医学用語は単語が長い。
pleuropneumonectomy とか 
otorhinopharyngolaryngologyとかなんなんでしょう。長いですよう。
 
数学も復習開始しました。学生時代は得意教科だった数学ですが、まったく自信喪失なので『中学の数学総復習』というドリルを買ってみましたが、なんと、もはや、平方根の簡単な計算でミスる始末。ああ、つらい。落ち込む。このドリルも2週間くらいで終了させて、青チャートに行く予定。そして統計の勉強をがっつりやるぞ~!
 
がんばります!
 
↓このあいだ食べた、コンビニのわたがし。おいしかった!
f:id:ssizen:20140514232728j:plain
 
 
 

負荷の中を生きる

自分の人生は厳しい試練の連続だと思うし、それは私だけじゃなくて生きていく人誰もがそうなのだろうと思う。人は誰しも試されているし、人は誰しもチャンスを与えられているのではないだろうか。
以前は、この試練がなくなっていくことが幸せかと思っていた。でも最近は違う気がしている。

私には充分な体力も、知力も、経済力もない。だから必死で健康管理して、勉強して、仕事も人よりたくさんしなくては、思うような事を、思うようにすることができない。

また、一人ではできないことだらけなので、誰かの助けやアドバイスも必要だし、仲間や友人なしに、最善の夢や未来を描くこともできないから、いつも皆と心分かち合える自分でいたい。
そのためには、ウジウジした自分は禁物だ。真っ直ぐな心の強さがないと、良い仲間と交流することもできない。

そして何よりも大切で目指すべきなのは、優しい人間であるべきことは間違いないはずだ。

歯を食いしばって一日を生きる。
1番幸せな今日と未来のために。
もっと強くて優しい自分を目指すために。

私は、
「そのままでいいよ」
とか
「ありのままでいいよ。無理しなくていいよ」
という言葉より

「もっと頑張ろう」
「もっと一生懸命生きよう」

という言葉を、友と分かち合いたい。

たくさんの試練、
背負いきれないほどの負荷。
年を重ねていく肉体。
その、
しんどいしんどい、旅路の果てに、
私は私の人生の意味を見つけたい。

愛しあえなかったこと、
助けられなかった命、
償いきれない罪の意識、悲しみとさみしさの果てに、私はある日、光を見つけた。

それは、
それでも私は生きているということ、
生かされているということだった。
それは奇跡だし愛に違いない。
本当にありがたいことだと、
そう思った。

私は、奇跡と愛の中を生かされている。
あとは自分がどう生きるか、それだけなのだ。

ならば私は過酷でも、
嘘偽りのない人生を行きたい。

愛するもの全てを背負って、
1番険しくて高い山を、
登りたい。

f:id:ssizen:20140509181416j:plain