夢・無意識・心
数年前、半年ほどの期間をかけ、心理療法家の元へ通い心理分析を受けていた。それは自分自身の神経症的な性質に自覚があり自分の心を一度客観的に整理してみたいという思いと、心理分析への好奇心からだった。
最初の2ヶ月ほどのプログラムは、小さな頃から今に至るまでの自分自身の生育歴やエピソードを心理士に話すことだった。私は、心理分析を受けると自分の情緒に不測の変化が起こってしまうのではないかと恐れに似た感情を頂いていたが、この時期の自分は非常に冷静で、淡々としていて、まるで小説のあらすじを語るようにすらすらと話すことができ、そのことに安堵した。
その後、プログラムは心理検査となった。これらの検査は作業的には「どうということのない」ものである。イラストカードを見てそのイラストから想像される物語を話したり、連続する数字を延々と記憶してみたり、…良く知られているロールシャッハ・テストも受けた。これもただの「インクのシミ」のような図版を眺めて、何に見えるか話すだけなのだ。が、この時期から私の夢に、変化が現れる。非常に不気味で、不条理で、尚且つこれまで感じたことのないような深淵を思わせる夢を繰り返し見るようになった。
私はその時思った。私は今、無意識の世界のドアをノックしているようだ…。
そして何故だろう(今でも理由はわからない)そのような夢を立て続けに見るようになってから、自分の心に、なんともいえない「落ち着き」のようなものが感じられるようになった。
そのような事を重ねながらプログラムを通いきり、最終日、約束では私の心理検査・分析結果のレポートが渡される筈だった。しかし担当心理士の手元には、約束のレポートはなかった。
心理士は私にこういった。
「あなたにはレポートは渡しません。なぜならあなたは自分自身がどんな人間なのか判断しようとしすぎるからです。…あなたは自分を普通じゃないと思っているようだが、あなた自身が勝手に何が”普通”なのかその基準を決めつけて、そこから自分を評価し、自分が異常だと判断しているようです。しかし何が普通で、何が異常なのか、決められるものなどありますか?」
彼はこう続けた。
「あなたは私からすれば異常ではありません。でもあなたはあなたを異常だと評価しているのです。私がいろいろお伝えしたら、あなたはまたそれに囚われて生きていくかもしれない。ですからレポートは渡しません。
ただひとつ、お伝えしたいのは、あなたは苦労してきた。不安定な環境を生き抜いてきた。だから恋人というようなあなたにとって”大切な人”を持つことが苦手で、安心することが苦手で、無意識にそういった親密な関係性を避け、また、時に壊そうとするようだ。それはそれで構わない。それが”あなた”だからです。
しかし、ひとつだけ、あなたは、”ある力”をつけられたら良いと思います。それは、”壊してしまった関係性を修復する力”です。
もしも今後、大切な人との関係を壊すようなことをしてしまったら、謝ったり、相手の気持ちを思いやったり、自分の感情を言葉にして伝え、関係を修復をする力をつけることができたら、どうでしょうか。
あなたはあなたとして生きていい。乗り越える力をつけていけばいい。
自分のことを引き算のように考え自己嫌悪におちいるのではなく、さらにそれを乗り越える力や修復する力を持つというふうに足し算に発想することで、もっと大きくなることができます。
これで私のセラピーは終わりです。」
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その言葉から思い返してみれば、思い当たることはたくさんあった。
人間関係において、私は、最初は誰にも親しく振る舞いながらも、深い関係を避け、最終的には一人になりたがる。
心を許し合う関係になる前に、恋人や友人からも、ふと身を隠してしまうような自分があった。
しかも、自分自身でそのように振る舞いながら、「自分は孤独で理解者がいない」と思い続けてきたのである。
そして不安の中で、人を傷つけ、人の心を引っ掻くようにして生きてきたのだ。
それに気が付いたことは大きなショックであり、この心理士の言葉はその後の私の振る舞いの一つの指標となった。
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心理検査を受けている期間に繰り返し見た、不可解な夢によって、私はある確信を持つことになる。
それは、「無意識の世界はあり、それは終わりのない宇宙のような、底のない沼地のような、果てしない容積を持っている」こと。
そして、「夢は無意識の世界とのチャンネルである」という実感である。
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私は自分の心を判っているようで、まったく判っていなかった。
ましてや無意識の世界の広大さを感じれば、本当に自分とは何者で、どのように生きて行けばよいのか?分からない、難しい。
ただ一つ、私にははっきりわかる感覚が有る。
それは何か自分自身を遥かに超えた存在があって、自身はその中で赦され、生かされているという感覚だ。
私は何者なのか?
私は生かされている者なのだ。
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自然の中にいる時、限りない無償の愛を感じる瞬間がある。
梢から、木々から、淵から、風から、川面から…。
その時私は、果てし無く満たされていて、果てし無く自由な感覚になる。
自然、森羅万象、彼等にも心があるのだ。
私にそれがあるように。
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C.G. Jungはこのように自伝に記載している。
心は明らかに肉体よりももっと複雑であり接近しにくいものである。それはいわば、我々が意識するときにだけ成立する世界の半分である。そのため心は単に個人的なものにとどまらず、また世界的な問題でもあり、精神科医は全世界を扱わなければならないのである。
以前には決してなかったことだが、現今では、我々は我々すべてを脅かす危険が自然から来るのではなく、人間、個人および集団の心から来るのだということを了解することができる。
人の精神異常は危険である。
すべては我々の心が適切に機能するか否かにかかっている。
この頃では、もしある人達が理性を失ったら、原子爆弾が発射されるであろう。
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世界や現象とは心が映し出す映画のようなもので、
すべての存在は、心や意識・無意識に帰属しているのかしれない。
私とはこの肉体ではなく、
私の住処はこの地ではなく、
私は土に還るのではなく、
私とはこの心であり、
私の住処はこの意識であり、
私はこの深遠たる無意識に還るのかもしれない。
月へ行けたなら
最近、良いこともつらいことも一気に押し寄せてきて、心がとてもざわついていた。
落ち着かせようとしても、落ち着かない。心を見つめてみても、とらえどころなく変幻してしまう。
こんなときに心を見ると、どうしても自己嫌悪がまさってしまい、苦しい、困惑のまま数日を過ごしていた。
夜には眠れなくて、何度も目をさまし、途方に暮れた気持ちになる。
まるで自分の未来すべてが、闇におおわれてしまうように不安で、そんな自分が情けなくて自分自身を責める内に、さらに心は行き場を失っていくようだった。
今朝職場に到着しても、まだ心はざわつき、いつものように仕事がはかどらない。
しばらく悩んだ後に、私はふと思い立って、
「今日は一人でできることをしよう」と考え、
前から作りたいと思っていた院内用の小さな統計管理システムの開発構成づくりに手をつけた。
ひとり、もくもくと構成を起こしている内に、やがて夢中になっていた。
構成がすんで、簡単なモックを創るうちにさらに気持ちは膨らみ、熱中していた。
そしてふと気が付くと、心のざわつきが嘘のように消えていた。
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私はいつも葛藤している。
ひとつのことがうまくいくときは、べつのひとつのことを失うことかもしれない。
ひとりの人とよろこぶときは、べつのひとりが悲しみにあるかもしれない。
決断をもとめられるとき、自分の意思を通すなら、誰かにとってはその人の意思にあわないことになるかもしれない。
頭の中はすっきりしない。ひとつひとつの事が、とても重大で複雑に思える…。
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昨夜、ひとり部屋で、様々のことを思い出し、心が押しては返す、波のような時の中でふと、祈るような感情を覚えた。
その時、遠くから花火の音がした。その音は遠雷のようにやさしく低く響き、私の心は満たされて行った。
そして私は考える。
私は一体、何なのだろう?
私は私の人生を、きちんと漕げているだろうか?
不安になるのは、過去をひきずって生きているから。私の「現在」の前には、未来ではなく、「過去」が置かれてきた。
まるで月へ向かうスペースシャトルのように、この影から離陸してみたい。悲しみや苦しみを、赦してみたい。
そして月から私を見たら、私はどんな姿をしているだろうか?
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何かをつくっている時はとても心地がよい。何かをつくっている時、私の心は救われている。
自分というのはとても不可解で、語れば語るほど触れれば触れるほど姿をうしなう霧のようだ。
それでも私は私を知りたい。そして誰かを知りたい。
そして私は私に言いたいのだ。
この道の先にあるのは未来だと。
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霧の中を泳ぐように、
また私の1日が暮れていく。
越生探訪/秋津町祭囃子保存会
夜の祭りの灯りの中で、おおらかで朗らかな囃子が繰り広げられ、子どもたちは無邪気にはしゃぎ、大人たちも皆楽しそうに笑っていた。
私もすっかり夢中になって、祭り囃子を楽しんだ。昔から日本人は、お祭りでこうして楽しい時を過ごし、心の澱を払ってきたのだろう。
秋津神社につどう人たちは皆やさしくて、ゆずりあって囃子を観ていた。子供同士が「見えないからおたがいにだっこしよう」といって、チビどうしで抱っこしながら舞台を覗き込んだり、子どもが子どもを肩車したり。
小さな神社の小さなお祭りは、あたたかくてとてもすばらしかった。